CVSデイリーメーカーの開発一筋、開発談話PART1
2023,3,30
本日お招きした高橋氏は調理人から某コンビニのデイリーメーカーに転職、後には社長に就任され、退職後は品質と開発のコンサルタントをされていた経歴をお持ちです。
髙橋さんが最近気になっているコンビニの商品を食べながら、2回に分けて開発談をお話ししていただきます。
私IFFの高橋と同じお名前のため、高橋コンサルとお呼びさせていただきます。
コンビニの中食との出会いと調理人
IFF高橋:
まずはこの業界に入ったきっかけを教えてください。
高橋コンサル:
服部栄養専門学校を20歳で卒業し、ホテルのレストランに就職しました。本当は帝国ホテルで働きたかったが受からなかったんです。
しばらくして、ファミリーレストランの先駆けになるレストランに転職。その店はベース食材を使わず、フォンドボーからしっかり作っていましたね。
その後、栄養士の資格をもっていたので産業給食の会社に入りメニュー開発をはじめました。
あるときセブンの記事を新聞に見かけ、興味をもち、調べて見ると、その当時レストランでの食事が一人500円程度、マックが80円程度、コンビニのおにぎりが60円以下と安く、又、他の品物も買う動機付けも有り、コンビニに将来性を感じました。
そこで、コンビニに食品を提供している、いわゆるベンダーの求人広告を探し、最終的に社長にまでなった会社に就職したのがこの業界に入る切っ掛けとなりました。
IFF高橋:
開発担当としての採用でしたか?
高橋コンサル:
最初から開発担当として採用されました。
当初は、山崎への納品の為の検体づくりがメインの仕事で、味はどうでも山崎の品質検査に合格する事がすべてでした。
まずくても菌検査に合格すれば問題はなかった。そんな会社でも、引き抜きに合い又、天下の山崎に魅力を感じ取引先に転職しました。
IFF高橋:
え!一度やめたんですか。それは知らなかったな……
高橋コンサル:
その後、何かの縁で元のコンビニベンダーに戻ったんです。
IFF高橋:
このあたりの話だけで終わってしまいそうなので話を開発に戻します
このままではコンビニの中食は滅びる
高橋コンサル:
当時は、新しい機械の開発が出来ていない、連続ラインでは調理が出来る様になったが調理法が変わっていない。いま食べている弁当のおかずも揚げたり焼いたりしたあと、タレやソースを掛ける、そのタレもソースも自社製では無くメーカーからの購入、だから変わっていないし進化していないなど、問題が山積していました。
だから、某コンビニ会社の講演で
「コンビニはこのままではダメだ、脱コンビニだ、冷食に取って代わられる、だから料理を作りましょう」
と中食について話しました。
チルド弁当の誕生
IFF高橋:
変わらなければならないと言われましたが具体的には
高橋コンサル:
コンビニの弁当、総菜は作った物を直ぐ食べるのでは無く、36時間、保証は48時間の喫食条件となります。
一方、添加物を減らしていく中でチルド弁当が誕生したわけですよ。
ところが売れていない店では折角のチルド製品なのに陳列温度が常温とチルドの2温度帯になっている。
特に某コンビニでは良く見かけました。
結果早い時間帯のご飯は軟らかく、時間の経過とともに硬くなってしまう。
最初は添加物レスといいながらチルドのご飯対策として様々な添加物を使用していました。
「こんな美味しくない物を売ってはダメでは無いか」と取引先のコンビニの経営陣に進言したら
「チルド弁当の目的は廃棄ロスの削減だ」といわれました。
「それは客の為では無くお店の為でしょ、その考え方は間違っている」
といったら激怒されたこともありました。
その後、努力の結果、美味しくはなりましたが……。
具材はそれほど進化しないから、まずはベースだよね。弁当ならばご飯、サンドイッチならばパンが美味しくないと。
パンも添加物レスを目指し、長時間熟成などを経て美味しくなりました。
サンドイッチの野菜は、コールドチェーンにより取れたて感をもたせ、洗浄には次亜塩素酸から機能水に変えるなど、おいしさを追求してきました。
開発担当者がベンチマークに頼るのは間違っている
高橋コンサル:
見た目はどうにでもなるけれど味は、食べた瞬間、これはコンビニ、これはデパ地下、これはレストランと判ってしまう、
良く開発商品はベンチマークを定め、それを商品化するが、決して同じ物は造れない。
それを開発担当は判っていないんです。
大量生産のなかで
高橋コンサル:
自分はレストランの調理人上がりだから、初めて工場で製造を見たときに何でこんな作り方をしているのかと思いました。
コンビニが出始めた1974年頃は、ものが造れれば良いんだという感じだったんですね。
製造には調理の専門家は誰も居ないという様な状況だったのです。
本心では、こんなところで働きたくなかったのですが、少しずつでも良くしようと皆に言い続けてきたわけですよ。
IFF高橋:
スタートはそんなもんですね。
高橋コンサル:
水とかお茶と同じ、買うものではなかったものから買うのが当たり前になったって言うことだよね、おにぎりとか、だから何でも造れば売れる時代だった。
「これからは作れば売れる時代から作っても売れない時代になるぞ」
と言ってきたがヒット商品の経験があるのかと、誰も聞く耳を持たなかったかな。
大量生産と無添加の間で
IFF高橋:
ご飯は炊飯方法を進化させて美味しくなったのは判りますが、加熱調理は何か進化しましたか
高橋コンサル:
添加物レスで大量に作り、腐敗させないために何をするか。
過加熱、過冷却になるわけですよ。
結果、日持ちはするけどジューシー感は無い、基準のマニュアルはあるが製造が増えると守られなくなる。
作っている方は、例えば上限85℃を95℃でやれば安心なわけですよ。
食べると美味しく無い、そのような時代を生きてきた人たちが、店舗増は無くなった、どうするんだ、中食は日販売り上げの30%、その内の50%が米飯製品となる中それが徐々に減っていき、チルド製品が出て来て食の領域が広がってきました。
それに対応するために工場側は製造機械や厳格な製造環境温度が可能な工場の建設等、設備投資をしてきました。
シーチキン(ツナマヨ)おにぎりの誕生
IFF高橋:
コンビニを取り巻くベンダーが置かれている状況は判りました。
ところでヒット商品となったシーチキンおにぎりのお話しを聞かせてもらいませんか。
高橋コンサル:
私が当時就職した某ベンダーは、先行して取引のあったベンダーとの関係で首都圏の商品提供が出来ず手間の掛かる弁当を製造していました。
この状況を何とかしろとトップから言われていたけど、ただ努力する日々でした。
そんなときハゴロモフーズがツナのハゴロモ煮という佃煮みたいな缶詰を何かに使えませんかともって来た。
「これをブイヨンだとかフォンドボーだとかを使って出来ませんか」とはなしたところ、いろいろチャレンジしてくれたわけですよ。その結果、ツナ缶のシーチキンができた。そのころ弊社にマヨネーズ工場があり、ツナ缶に合うマヨネーズの開発を行う事が出来ました。
家に帰ったとき、たまたま息子がご飯にマヨネーズを掛けて食べていたので「うまいのか」試しに食べて見るとこれが案外うまい、ハゴロモのツナ缶で試したらうまいかもしれないと思い会社に帰って試作をしたところうまかった。
これをおにぎりの具にしようと考えたわけです。昔から鮭、おかか、梅はありましたが、これは新しいと。
ネーミングは既にシーチキンとしてツナ缶の名前が浸透していたこともあり、ツナマヨでは無く、シーチキンにすることにした。(この名前は後日、いろいろな出来事からツナマヨになる。)
コンビニのMDに持ち込んだところ、ご飯にマヨネーズはと否定的な意見が多く、「だまされたと思って販売してみましょうよ」と説得しました。
ネーミングのシーチキンはハゴロモのブランドなのでハゴロモとコンビニとベンダーの協同開発の形でシーチキンとして販売が出来る様になりました。
なんと店当たり30個を売り上げるヒット商品になりました。
添加物ゼロを目指す
IFF高橋:
開発のこだわり、食べて美味しい以外、何かポリシーというか哲学みたいなものは?
高橋コンサル:
ポリシーは、絶対的に添加物はダメです。
女性、主婦がコンビニの食品を買わないのは何故か?
アンケート調査をすると「こんなに日持ちするのはおかしい」との回答を見つけました。
当時、後発コンビニの冷凍弁当のCMで普通の弁当にはこれだけ白い粉(添加剤)が入っています。冷凍弁当は添加物が入っていません。と言う感じのものがありました。
「だから安全です」と言いたかったとは思うけれど結果、自分の首を絞めることになります。
その後、弁当工業会からの猛反発でコマーシャルは1週間程度で中止になったんです。
衛生管理の重要性
高橋コンサル:
それで、過加熱、過冷却をさけて添加物を減らす為には何をしなければならないかを考え、品質管理、衛生管理が重要と考えるようになりました。
厳格な衛生管理でも生産性と反比例しない、5Sや清掃は人が係るかもしれない、しかし、いいものを作るマインドが育つと言い続けてきました。
今回は、高橋氏の品質への拘りとそのバックボーンに関してお話しをお聴きしました。
PART2では、商品開発の心得として今までの講演の要点を中心にしたお話しを伝えいたします。